Document 木村 秀樹


街角に置かれる「機能性を持った立体」という依頼の文言に託された、依頼主の要望を漠然とは感じつつ、むしろ微妙に避すことを考えた。と言っても無視するのではない。 そうではなくて、所謂プロダクトデザインや都市計画といった合理性、科学的思考に裏付けられた場に、門外漢の私が無理に自分を追いやって、大衆の指向云々から人々の望む べき街のありかたなどを考えたところで、付け焼き刃のそしりは免れないだろうし、お寒いものが出来上がるのは必定であると予め自戒しておこうということである。


環境彫刻、プロダクトデザインといった文脈からではなく「依頼」について解答する、ということはつまり自身の表現の枠内で思考する、という極めて当然といえば当然の結果を提出することとなろう。 用を伴った、機能性を持った、という性格と、そのような他からの要請とは(理論上は)無縁であるはずの「表現」との間には何かとてつもなく大きな問題が横たわっていて、その関係を論じること自体面白い、 興味深いとする直感はある。それにしても、「他からの要請」と「自己表現」との関係は、対立なのか融和なのか、はたまた麗しき主従関係?なのかはともかくとして、そのような問題をすっぽりと包み込んで しまうような枠組みが最近よく耳にするパブリックアートというものではないだろうか。それは上の問題を解決するとまではいかなくても、少なくとも、考える場を提供したとは言えるだろう。私のプランが万 が一採用され実際に街角に設置されたとして、それはパブリックアートなのだろうか?そうかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、すっきり街に溶け込むというより、いつまで経っても何 か不思議な異和感を鈍く発しているような気がするし、またそう在りたいとも思う。


私は、このデュアルチェアーを、1枚の紙、を切ったり折曲げたりしながら発想した。1枚の紙、具体的にはこれまで開催された私の個展等の案内状で、当時発送されるはずのものが何らかの理由で発送されず、 しかし捨てるに捨てられず手元に山積みされたものである。それらは数十種類におよぶヴァリエーションがあるが、内何種類かには私の作品が印刷されている。紙のサイズは通常の葉書サイズ、約10×15cm がほとんどである。紙はイメージのあるいは絵の支持体である。それはイリュージョンの入れ物と言えるかもしれない。しかしイメージと支持体は切り離すことは出来ず、一体でしか在りえない。紙は薄い物質である。 それはイメージそれ自体と見まがうほどに。紙には表と裏があるが、その両方を同じ重さで活かす事を考えた。つまり表も裏も無い絵画。デュアルチェアーは、立体、彫刻、として発想したのではなく、 平面の発想の延長上にある。立体絵画?あるいは彫刻でも絵画でもない何か。

 マケットが拡大され、何か別の素材によって作品化されたとしても、それは1枚の紙から発想された形であるということを、ほのめかし続けるものでありたいと思う。タイトルが示すように、 それは椅子である。その機能性を考えても、紙によって完成される事は可能ではあるが、多分力学的に時間的に予算的に不可能である。従って、デュアルチェアーは素材を選ばない。木 石 金属  プラスチック等、あるいは2種類の素材の併用等、状況に応じて使い分けることが出来る。

マケットはスカイブルーとチャコールグレーの2色で彩色されている。これは椅子の表面の単なるデザインではなく、例えばブルーの部分をガラスで、 グレーの部分を鉄で制作する、等の素材の組み合わせによる展開を考える際のガイドラインの役割をも果たす。


完成したデュアルチェアーに塗装することも出来る。例えば鉄板で造形したものにブルー部分のみを塗装する。あるいはコンパネで造形したものを2色に塗分ける等。 この場合基本的にはマケットに使用した色に準じる事。 デュアルチェアーはサイズを選ばない。完成時、100×275×125cmを一応の基準とするが。たとえば0.7倍して子供用に、1.5倍して見ることを目的とした物体、あるいは子供達の遊戯器具 として展開することもできる。また倍率の異なるものを3種類くらい作成して、構成された設置を考える等。

デュアルチェアーはユニットである。素材、図柄、のことなるデユアルチェアーを数種類並べて置き、チェアーフェンスとして展開することも1つの提案である。

設置場所は特定されないが、その性格上(つまり裏も表もないという)、広場のような場所が望ましい。あるいは通路であればその中央に置いて、チェアーの 両面が活用されるようにしたい。 チェアーの背面部に鉢植えの観葉植物など(例えばケンチャヤシなど)を設置し、街角のオアシスを演出する、。

屋外設置を前提としているが、屋内での使用、家具としてあるいは造形作品としての展開も出来る。